このコーナーでは、かつてビクターエンタテインメントに所属し、ニニ・ロッソやビリー・ヴォーン、リチャード・クレイダーマン等 数々のイージー・リスニング系アーティストをプロデュースしてきた所忠男氏が設立したレコード会社「ドリーム21」から発売されているCDをご紹介いたします。
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※このサイトは「イージーリスニングの部屋」の1コーナーです。
1956年に活動開始した時から数えて8代目のリーダーであるラリー・オブライエンが率いるグレン・ミラー・オーケストラのアルバム。度重なる来日公演で見事な演奏を繰り広げ、ますますファン層を広げている。
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リーダーのハーマン・クレバノフは1917年シカゴ生まれ。シカゴ交響楽団、イリノイ交響楽団などで活躍した後、1940年代に22の弦楽奏者を中心としたオーケストラを結成し、ポピュラーに転向。以降、マーキュリー・レコードの専属となり多くの名演奏を残す。
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1918年、キューバのマタンサス生まれ。1948年にメキシコで自身の楽団を結成し、以降「エル・マンボ」「マンボNo.5」「セレソ・ローサ」などの大ヒット曲を放ち、マンボ・キングと称される。オリジナルはRCAに録音しているが、その後、いろいろなレコード会社に録音を残している。
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1900年、スペインのバルセロナ生まれで、幼い頃にキューバに移り住む。1920年代にラテン・アメリカン・バンドを組みロサンゼルスで活躍し人気を得ていく。戦後、日本でもラテン音楽ブームを巻き起こし「ルンバの王様」と呼ばれる。「マイ・ショウル」は自作曲で楽団のテーマ曲でもある。
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アルゼンチンの北部にあるウマウアカという町に生まれ、民族音楽家として活躍していた父の影響を受け幼い頃からアンデスの音楽に育まれ、やがて活動拠点を首都ブエノスアイレス、そしてパリへと移し活躍を続ける世界的なケーナ奏者。
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1915年、ペルーのアヤクーチョという町に生まれた。幼い頃からケーナに魅せられ第一人者となったパントーハは1941年からブエノスアイレスに移り住み、やがて世界的なフォルクローレ・ブームとともに「アンデス音楽界伝説の巨匠」としてその名を広く知られるようになった。1991年没。
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1943年11月1日、イタリアのシチリア島に生まれ3歳の時にベルギーに移住。15歳の時に祖父からプレゼントされたギターにより音楽に目覚め、1963年にデビュー曲である「サン・トワ・マミー」がヨーロッパ中でヒットし、以来フランス、ベルギーなどを中心に活躍するようになる。アダモが日本語で唄った「雪が降る」は、日本ではオリコンのチャートに90回もランクインし最高5位という記録を残している。
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1919年4月12日ケンタッキー州ボーリングリーン生まれ。6才頃にウクレレを手にし、それ以降急速に音楽に興味を持つようになる。ビリー・ヴォーンのレパートリーにハワイアンの名曲が多いのもそんな経歴に由来しているのかもしれない。1954年にドット・レコード(現在はユニバーサルの1部門)のスタジオ・オーケストラとしてデビュー。1957年には「波路はるかに」の演奏が全米で大ヒットしその名を知られるようになる。ドット・レコード以外に70年代頃に日本のビクターに十数枚の録音を残している。
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■ ビリー・ヒュー・レン/バーニー・アイザックス jr.
ビリー・ヒュー・レンは左手の手首を事故でなくしたにもかかわらず義手にスティール・バーをセットして華麗に演奏してしまうというスティール・ギターの名手。バーニー・アイザックスjrはハワイアン音楽では有名な音楽一家であるアイザックス・クランの長男。夢の共演をこのアルバムで果たした。
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