
エンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck)が1968年に歌ってヒットした「地平線の彼方に/Les bicyclettes de Belsize」。なぜ英国発の曲なのにフランス語のタイトルがついているのか、ずっと疑問でした。作詞はバリー・メイソン、作曲はレス・リードと「ラスト・ワルツ」の名コンビです。
●エンゲルベルト・フンパーディンク: 地平線の彼方に / Les bicyclettes de Belsize
実はこの曲「シェルブールの雨傘 / Les Parapluies de Cherbourg」の影響を受けて1968年に作られたミュージカル映画の音楽だそうです。タイトルをフランス語にして ”Les bicyclettes de Belsize” つまり「ベルサイズの自転車」としたところからも、そのリスペクト度が判ります。「ベルサイズ」とはロンドンにある公園のことのようです。検索するとベルサイズという自転車メーカーもひっかかってきますが、それはシェルブールという名の傘屋さんが生まれたのと同じかもしれません。
●オリジナル・サウンド・トラック盤: 地平線の彼方に / Les bicyclettes de Belsize
映画では、ソングライターのレス・ヴァンダイク(Les Vandyke)がジョニー・ワース(Johnny Worth)名義で歌ったようですが、レス・リードとしてはせっかくいい曲ができたのだから「ラスト・ワルツ」を世に広めたエンゲルベルト・フンパーディンクとミレイユ・マチューのコンビに歌ってもらった、というのがこの曲の成り立ちではないかと思われます。
●ミレイユ・マチュー: 地平線の彼方に / Les bicyclettes de Belsize
実際にマチューのシングル盤を調べていくと、レス・リードがプロデュースと指揮をしたと書かれています。マチュー盤はワースと同じような編曲ですが、フンパーディンク盤はイントロ部分だけでなく、全体的に彼の伸びのあるヴォーカルが引き立つような雄大なアレンジに変えていることがわかります。
●レス・リード・オーケストラ: 地平線の彼方に / Les bicyclettes de Belsize
こちらがデッカでレコーディングされたレス・リード・オーケストラによる演奏です。検索すると映画の一場面とどこかから持ってきたオーケストラの映像を使って公式のプロモーション映像のように仕上げた映像もありましたが、映像と演奏が合ってなくて余計なイメージを与えかねないので無難なこちらの映像を紹介しておきます。ご興味のあるかたは検索して見てください。
●レイモン・ルフェーヴル: 地平線の彼方に / Les bicyclettes de Belsize
ルフェーヴルの演奏、オープニングのチェンバロの響きがさりげなく、それに続くまさに「地平線の彼方に」という感じの雄大なホルンでの演奏とヴァイオリンが奏でる裏メロディがなんとも心地よい名演奏です。この曲が収録されているNo.7は全体的に音のレンジが狭いので、曲やアレンジの良さが発揮できていないのが残念でなりません。
ところで、エンゲルベルト・フンパーディンクと言うと、私は「スター誕生」というテレビ番組で萩本欽一さんが会場にいるお客さんを舞台に上げてやりとりをするコーナーの一場面を思い出してしまいます。欽ちゃんがエンゲルベルト・フンパーディンクのアルバムを持ってきて「このレコードの歌手、エンゲルベルト・フンパーディンクって言うの。言ってもらえる?」と振って、たしか高校生くらいだったと思う女の子が言い間違えては、それを欽ちゃんが正しく言い直す、ということを繰り返して笑いを取っていました。欽ちゃんはその少しあとに「トンヒラコッペドビダブジョ」という正月番組を作るのですが、そのタイトルも「エンゲルベルト・フンパーディンク」という言いにくい名前(でも実力派の偉大な歌手)からインスピレーションを得たのかもしれません。
最後にご紹介するのは、エンゲルベルト・フンパーディンクの2007年のオランダでのライヴコンサートから。イージー・リスニングのオーケストラで取り上げられることの多い名曲が披露されています。
1)スペインの瞳
2)愛の花咲く時
3)クァンド・クァンド・クァンド
4)ラスト・ワルツ
5)リリース・ミー
6)青い影
1は1965年に発表された「ナポリの月(Moon over Naples)」という原題のベルト・ケンプフェルトのインストゥルメンタル作品で、最初はその曲名のとおりの歌詞がついたそうですが、同じ年にメキシコの女性を題材にした「スペインの瞳」の英語歌詞が作られヒットしたそうです。フンパーディンクは1968年に録音しました。2は1968年のサンレモ6位入賞曲でアンナ・アイデンティチ(Anna Identici)が歌った作品の英語版で、フンパーディンクが取り上げたことにより大ヒットした曲。3は1962年のサンレモ4位入賞曲でトニー・レニス(Tony Renis)が歌ったものがオリジナルで、英語版としてはフンパーディンクとともにパット・ブーンが有名です。このようにイタリア原産の曲ながら、他国のアーティストが取り上げ世界的にヒットした作品は「ラヴ・ミー・トゥナイト」「この胸のときめきを」「ケ・サラ」、シャーリー・バッシーが歌った「私の人生(This is My Life)」など結構多数あります。自国の音楽の見本市として位置づけたイタリアの音楽祭は、そこで芽が出そうな曲を世界中の音楽プロデューサーに見つけてもらって、その大ヒットにより外貨を得るという、戦後の復興策としての側面があったようです。(キングレコードの新井ディレクターの話)